呪術廻戦の乙骨憂太が藤原と言われる理由と子孫は?菅原との関係は?

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高専側の最強戦力の一人といっても過言ではない乙骨憂太。

呪術廻戦は話自体が結構難しいので、一回読んだだけではなかなか理解するのが難しいですよね。

仙台コロニーの戦いでは烏鷺享子(うろたかこ)に藤原と言われていましたがなぜなんでしょうね?

  • 乙骨憂太は菅原道真の子孫じゃなかったの?
  • 歴史上での菅原と藤原はどんな関係だったの?

といったことについて書いていきたいと思います。

呪術廻戦の乙骨憂太が藤原と言われているのはなぜ?

乙骨といえば菅原道真の子孫じゃなかったの?と思った方も多いと思います。

考察としては以下の3つが考えられます。

単純な作者のミス

ネット上で話題になった説が、作者が菅原道真と藤原を間違えて書いてしまったのではないかという説です。

ジャンプが発売された際にはこの説が話題になりました。

単行本のおまけページにて乙骨が「藤原?五条先生は菅原って…どっちでもいい」と思っている描写がありました。

五条が信用されてなさすぎかつ乙骨が自分に興味がなさすぎるとのことです。

とりあえず菅原道真と藤原を間違えたわけではなさそうです。

これに関しては編集の人たちの目も入ることですし、ここまで大きなミスはしないのではないかと思います。

乙骨憂太の言動が藤原と重なったから

個人的にはこの考え方が一番有力ではないかなと思います。

乙骨が「なんで自分なんかのために必死になるんですか?」とのセリフに烏鷺享子が反応していました。

この言動が過去の藤原の人間と重なる部分があったのかもしれませんね。

乙骨憂太が藤原と菅原の両方の子孫説

個人的にはこの説が一番ワクワクするなと思っています。

適当な五条先生ならともかく、天元様も乙骨のことを「菅原道真の子孫」と言っていたので菅原道真の子孫であることは間違いないです。

菅原だけでなく藤原の血も受け継いでいるのであれば、五条先生以上の呪力量というスペックも納得いくのではないでしょうか?

呪術廻戦の乙骨憂太は歴史上の人物「藤原」と「菅原」と関係している?

実際の歴史上での菅原氏と藤原氏ってどんな関係だったのか気になる人も多いのではないかと思います。

日本の歴史を紐解いていきたいと思います。

藤原と菅原はライバル関係にあった

菅原道真が学問の神様として祀られているのは知っている方も多いと思います。

実在の人物なのに神様?と思っている方も多いと思います。

これにはちゃんとした理由があります。

菅原道真は学者の家系で宇多天皇によって高い地位に取り立てられていました。

当時の政治の場では藤原氏が勢力を伸ばしてきており、権力争いが激化していました。

宇多天皇から息子の醍醐天皇に変わった際に、藤原時平という人物が菅原道真に無実の罪を着せて大宰府に左遷します。

2年後に菅原道真は無念のうちに大宰府で生涯を終えています。

正直こういった権力争いは政治の場では珍しい話ではないのですが、この話には続きがあります。

藤原一族に菅原道真の祟りが…

道真が命を落としてから、京都では台風や伝染病など厄災が続きます。

しかも菅原道真の敵だった人物たちが謎の急死を遂げていくという現象が起きます。

特に天皇の住まいである御所に雷が直撃するという出来事もありました。

ただ面白いのは菅原道真と仲の良かった藤原時平の弟の藤原忠平という人物は災厄から逃れています。

彼は菅原道真が大宰府に左遷されてからも励ましの手紙を送っていたようです。

彼はその後関白まで上り詰めて長く政治に従事しました。

これらの現象を菅原道真の祟りと考えた貴族たちは学問の神様として祀ることで菅原道真の祟りを収めようとしたのです。

実は菅原道真は日本三大怨霊の一人にも数えられています。

呪術廻戦で大物呪術師とされるのはこのあたりが理由かもしれませんね。

菅原道真の娘が藤原氏に嫁いでいた

実は菅原氏と藤原氏はライバルでしたが、菅原道真の娘が藤原氏に嫁いでいるという記録が残っています。

不思議な話ですが当時の貴族たちの間での政略結婚は珍しくありません。

この事実を考えると乙骨が菅原と藤原の両方の子孫だという説にも現実味が出てくるのではないでしょうか?

呪術廻戦の乙骨憂太の子孫は?

ここからは呪術廻戦の乙骨憂太の子孫について解説していきたいと思います。

乙骨憂太の子孫がエピローグにて登場!

単行本30巻に収録されたエピローグパンダにて乙骨の孫が登場しています。

宿儺との戦いの後乙骨は五条家の当主代理となります。

乙骨は五条の遠い親戚といわれていたので、ある意味で一つの伏線回収といった所でしょう。

五条家は御三家といわれているものの、悟以外に目立った術師はおらずにワンマンチームでした。

五条が命を落としたことで、ぽっかり空いた穴に乙骨が入った感じですね。

乙骨自身に権力欲があるとは思えませんが、仲間を守る上で都合がよかったのでしょう。

2080年に五条家の忌庫にてパンダのぬいぐるみを手に取る二人の男女の幼子が描かれています。

パンダを手に取る女の子に対して、男の子が「おじいちゃんの宝物だから駄目だよ」といいます。

それに対してパンダを放り投げる女の子。

それに対してパンダが動き出して「性格悪いなぁ、本当に憂太の孫か?」と言い放ちます。

パンダは2035年に活動停止したみたいですが、今でもたまに動くらしいです。

なんにせよ平和なエピローグでほっこりしますね。

乙骨憂太の結婚相手は誰?

孫がいるということは当然乙骨は結婚しているわけですが、いったい誰なんでしょうか?

作中のキャラで考えるなら禪院真希

当然皆さん思い浮かべるところですが、真希以外に考えにくいでしょう。

リカちゃん以外に特に親密になった女性もいないですし。

真希は異性のタイプについて「最低限私より強いやつ」と発言しています。

乙骨はこの条件を満たす数少ない男性といえるでしょう。

五条みたいに性格悪いなんてこともないですしね(笑)

作中には乙骨に対して敬意を払っている描写もありますし、真希としては全然ありでしょう。

作中に登場しないキャラの可能性も?

もう一つ考えられるのが作中に登場しないキャラクターである可能性です。

パンダが乙骨の孫に対して性格悪いと言っていましたが、乙骨が真希と結婚したとするならばこの発言はちょっと違和感ありますよね。

真希は普通に性格悪いですから、パンダを放り投げるくらいしそうではあります。

かといってほかに乙骨とくっつきそうなキャラも見当たらないので、作中に登場しない人間というせんもありそうです。

そのあたりはご想像にお任せしますといった所でしょうか。

呪術廻戦の乙骨憂太が藤原と言われたのはなぜ?のまとめ

呪術廻戦の乙骨が藤原といわれていたことについて、深堀りしてきました。

  • 単純な作者のミス説
  • 乙骨の言動が藤原と重なった説
  • 乙骨が藤原と菅原の両方の血を引いている説

がありました。

歴史上の菅原と藤原の関係性については

  • 藤原と菅原は権力争いをするライバルだった
  • 菅原道真の娘が藤原一族に嫁いでいた。

この辺りは少し歴史的な観点からみても面白いと思えるのではないでしょうか?

また先祖だけではなく孫も登場していたのはうれしかったですね。

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