元メジャーリーガーの投手で今は野球解説やyoutubeで活躍されている上原浩治さんです。
引退されてからもサンデーモーニングや自身のyoutubeなどで元気な姿が見れますね。
私個人的には結構ファンなのでうれしいです。
- 上原浩治の兄弟の基本情報
- 上原浩治の兄弟の野球センスは弟以上だった?
- 上原浩治の兄弟とのエピソード
これらについてまとめました。
上原浩治の兄弟の基本情報
上原浩治さんにはお兄さんがおり、お名前は北川隆明(きたがわ たかあき)さんという方です。
身長は90センチで出身は大阪府の寝屋川市になります。
上原浩治さんの二つ上なので1977年生まれになります。
現在は北川ヒューテックという会社の代表取締役社長をされています。
こちらの会社は道路事業を軸に土木、環境、建設などの分野で事業を展開されておりいわゆるゼネコンといわれる会社です。
東北から九州まで全国に支社を持っており、従業員は327人年商は165億円(2022年5月期)という規模の会社になります。
会社の規模が想像以上でびっくりですね。
もともと北川ヒューテックに入社されたのちに、この会社の会長の娘さんと結婚して婿養子に入り会社を継いだそうです。
結婚当時は金沢の方ではちょっとした話題になっていたんだとか。
従業員が300人を超える会社の社長となるプレッシャーはどんなものなんでしょうね?
言い換えれば自分の肩に300人の従業員とその家族の生活がのしかかってくることになります。
自分なら3か月も持たない自信があります。
上原浩治の兄弟の野球センスは弟以上だった?
北川隆明さんですが幼少期は上原さんと同じく野球をされていたそうです。
2019年には「消えた天才」というテレビ番組でも取り上げられております。
その運動能力は抜群で上原さんは何をやっても北川隆明さんにはかなわなかったそうです。
野球をやめてしまった原因は?
大学時代には陸上部に所属し、110メートルハードルの選手として活躍し て自己ベストは14秒41を記録されています。
なぜ野球をやめてしまったのかというと、小学6年生のときに将来を据えて硬式ボールでの野球を始められたそうです。
そのことがきっかけで肘を壊してしまったのだそうです。
軟式球が134,2~137,8gであり硬式球が141,7~148,8gと10グラム前後硬式球のほうが重いうえに球が硬くなっています。
捕る投げるといった一つ一つの動作の負荷が重くなってしまうようです。
北川隆明さんのころの少年野球は今ほど科学的ではなく、怪我を予防する意識が今より低かったことも影響しているかもしれませんね。
中学では野球部はなかったそうなので陸上部で活動しながら地元のクラブチームで野球をしていたそうです。
高校に上がるころには野球に対する気持ちがなくなってしまっていたそうです。
もし上原浩治さんのお兄さんが怪我をせずに野球を続けることができていたら、兄弟そろってメジャーリーガーになっていたかもしれませんね。
上原浩治の兄弟とのエピソード
続いては上原浩治さんと北川隆明さんのエピソードについて紹介していきます。
上原浩治の無名だった中学高校時代
上原浩治さんは中学は学校では陸上部に所属しながら地元のクラブチームで野球を続けます。
高校では自転車で通えてなおかつ野球が強いという理由で東海大学付属大阪仰星高等学校の野球部に入ります。
高校時代は全くの無名で高校二年生まではセンターを守っており高校3年生に投手に転向しました。
本当は投手は走らされるからやりたくなかったんだそうです。
公式戦での登板はわずか6イニングに終わりました。
しかし公式戦で投げたときに楽しいと感じることができたらしく、大学でも野球を続けたいという思いになったんだそうです。
上原浩治さんは大学4年間野球を全うして、教員免許を取って体育教師になろうと考えたそうです。
上原浩治の一年間にわたる浪人生活
体育教師になろうと大阪体育大学を一般で受験するも不合格になってしまい浪人することに…
そこで北川隆明さんはメジャーリーガーとして活躍していたノーランライアンのピッチャーズバイブルという本を渡したそうです。
上原浩治さんはこの本をもとにジムでトレーニングに励んでいきました。
家計を圧迫したくないとスーパーや深夜の警備のバイトをしながらの生活だったそうです。
プロ野球での背番号19は一年の浪人生活を過ごした19歳からきているそうです。
若い頃の苦労は買ってでもしろという言葉がありますがまさにその言葉の通り、この1年間が上原さんの支えになっているのでしょう。
見事1年後の受験で大阪体育大学へ合格されました。
上原浩治は大学時代の成績は?
一年間の浪人生活を経て見事大学に入学し野球部に所属した上原さん。
浪人時代のトレーニングが効果を発揮して入学時には140キロを超えるスピードをたたき出したそうです。
大阪体育大学は野球部専用のグラウンドもないような無名校でしたが、強豪校ではなかったのが逆に自分たちで考えてトレーニングをすることにつながったそうです。
大学3年時の日米大学野球選手権大会では1試合14奪三振を記録ます。
4年春の姫路独協大学戦ではノーヒットノーランを達成するなど一躍メジャーも注目する選手になります。
大学4年間で通算リーグ優勝5回(1年春、2年春・秋、3年秋、4年春)、36勝4敗、最優秀投手賞4回、特別賞2回という成績を収めました。
通算36勝と完封13はリーグ記録だそうです。
意外にもプロに入る前は高校まで全く野球エリートではなかったですね。
プロ野球に入るような人間は小さいころからずば抜けているというイメージがあるものですが、人間の才能はいつ開花するかわからないですね。
努力があっての才能なんだなと感じさせられます。
上原浩治の兄弟についてまとめ
今回は上原浩治さんの兄弟についてまとめになります。
- 幼少期は運動においては何をとっても上原浩治さんよりも上だった。
- 会社の社長という情報は本当で、石川県を本拠地に持つ大手ゼネコン会社の社長だった。
途中で野球をやめてしまったのは残念ですが、その悔しさが今のご活躍につながっているのかもしれませんね。
幼少期の上原さんにとってお兄さんである北川隆明さんは常に追いかける存在であり、お兄さんなくして今の上原浩治さんはないだろうなと思います。
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